千秋公園二の丸で、2020年に小規模な発掘調査が行われていました。佐竹資料館のすぐ近くの場所です。 秋田藩久保田城の正式な登城門であった黒門から坂を登り、二の丸に入ったあたりになります。
細長い範囲が発掘されていますが、千秋公園への入り口となる大坂に融雪設備を導入するための工事の事前調査の発掘です。
柱があったであろう穴などがありますが、何らかの塀があった跡ではないかということらしいです。当時の二の丸は、どのような風景だったのでしょうかね。
現在はすでに融雪用の設備が埋設されていますので、発掘調査をしたこの部分の城跡はすでに失くなったと思われます。このあと佐竹資料館も建て直すことが決まっておりますので、それに合わせての発掘調査も行われると思われますが、この部分の発掘と合わせて、久保田城二の丸の様子がどのようなものであったのかが、もっと明らかになっていくと良いですね。
この写真は、地層の深さを計測しているところですが、この部分でおよそ1メートル盛土をした跡があると伺ったように覚えております。話しを伺ってすぐに文章を書かず、だいぶ時間が経ってしまったので、記憶が少々あやふやです。
深さを計測していたのは、上の写真の中央から少し右のあたりです。その位置で1メートルの盛土だとすると、写真中央から左側の土塁のあたりはもっと高く盛土をしたということになります。かなり大掛かりな土木工事ですね。
1万年単位の昔の話だと思うのですが、昔の旭川はこちらの千秋公園の東側を流れていたと伺ったことがあります。東側の三の丸の地形にも、それが現れているそうです。自然の地形を利用しながら大規模な土木工事が行われて造られた久保田城を、いま千秋公園という形で利用している不思議。
散歩道にも歴史ありです。