2021/02/04

千秋公園:歩兵第十七連隊之碑(再投稿:2014年09月17日)

 

千秋公園本丸の 与次郎稲荷の入り口付近に建つ
歩兵第十七連隊之碑
昭和57年建立

花が供えられている
何十年経っても忘れない人がいる

明治18年に仙台で設立 明治31年に秋田に移動
主に秋田の人間が入隊する部隊となった
第二次世界大戦での敗戦と共に解散



日清戦争 日露戦争 満州事変 などの戦歴があり
第二次大戦末期に フィリピン ルソン島で
激烈な戦闘を繰り広げる

およそ3000人いた兵士が
終戦時には900人ほどに減っていたと
この石碑には刻まれている

ネット上のNHKの戦争資料のページによれば
生き残りはさらに少なく 700人ほどとなっている



この石碑には書かれていないが
フィリピンでは ゲリラ掃討作戦を担い
多くの民間人を殺害した部隊であった

女も子供も殺した

戦闘がつづき
ゲリラかどうかの判断がつかない中
行き着いたところが
無差別の民間人への暴力と虐殺

NHKの戦争証言のページで
数人の元兵士が証言している

毎日の戦闘での疲弊 次々に死ぬ兵士
略奪行為 殺害行為 一部の食人行為
生々しい体験が語られている

平和な日本で暮らす中
家族がありながら それでも証言されたことに
元兵士の方々には 敬意を表したい

NHKのページはこちら:番組も証言記録もある

私の住むところと
駐屯地のあった場所は すぐ近くなのに
地元の部隊の存在も その戦歴や 民間人の虐殺の事実も
つい2週間前まで知らなかった
私に限らず 知らない人は多いと思う

子どもたちには教えたが
記憶のどこかに残って欲しいと思う

保守的な人が好んで使うのだろうか
自虐史観などという言葉があるが
やった側として
事実を認識していることは とても大切なことだと思う

地元の部隊を讃え顕彰するだけではなく
おこなった事実を教え
他国の人も追悼する気持ちを
子供の頃から教えるのも大切なことだと思う

やられた側として 日本が原爆を長く忘れないように
他の国々にも忘れられない出来事が多くあるのだと思う

いまでも 亡き先人を思い
歩兵第十七連隊之碑に花を供える人があるのと同じように
他の国にも 忘れない人がいる



歩兵第十七連隊の駐屯地は
現在の秋田駅前から 市民市場やNTTの方に向かって
4万2千坪以上の広さがあった

中央の大きな石碑は 昭和41年建立 
周囲の小さな石碑は古く 駐屯地であった時代のもの

場所は 伊藤学園 秋田予備校の 裏手の
こじんまりとした所



石碑の向かい側のちょっとした公園が
国学者 平田篤胤の生誕の地
軍学にも精通していたという



昭和三年陸軍記念日の建立 誕生の地の石碑
「陸軍大将 本郷房太郎 書」とある



同じ公園内 明治41年建立の石碑
「歩兵第十七連隊長 高草木重列 建立」
と書かれているようだ

おもしろいのは
前も後も まったく 同じ文字が彫られていること

「嗚呼」ではじまるところも 珍しいと思ったのだが
検索してみると
「嗚呼」で始まる多くの石碑があるようだ

平田篤胤の終焉の地は
ここから徒歩でも10分とかからない
南通り沿いにある

また 墓所は 手形山にある
秋田大学裏手の 住宅地の小道の奥の 小高い場所

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今まで あることも知らなかった石碑に
戦争の記憶が刻まれていたと
あらためて気付かされた

最近は 近隣の国の言動に
それはないだろうと思うこともあるが
日本の政治家や官僚の戦後処理が
十分ではなかったことも一因なのではないかと思う

私の無知も 私の不勉強だけの問題ではなく
たぶん 政治や教育の問題という側面もある

出征し戦死した多くの日本兵はもちろん
日本兵に無残に殺された人々のことを
知っていなければならないと思う