2021/02/19

久保田城渋江家屋敷跡発掘:1(再投稿:2019年05月24日)

 

 私の店の前の、以前の様子です。久保田城の三の丸に当たる場所の城跡で、家老の渋江家の屋敷と城主の仮御殿を兼ねていた場所です。 ツツジが植えられていて、あまり意識することはありませんでしたが、店の目の前は、渋江家の屋敷の敷地の周囲の土塁の一部でした。



 昨年のうちに、木は伐採されて、土塁を切削しての調査を終えており、冬の間はブルーシートで覆われていました。
 
 伐採と書きましたが、実際に行われたのは重機で木をへし折ると言う作業で、見ていて何とも痛ましいものでした。建物の解体の一部として行われた、まさに重機による木の解体でした。
 
 街の中心部に位置するこの歴史ある土地で、あんな荒々しい木の倒し方をするのかと、芸術文化ゾーンと言われるこの地域の文化とは何なのかと、そんなことを考えてしまう衝撃的な作業風景でした。道行く人も皆、立ち止まって作業を見ていました。産業廃棄物にせずに、木材として再生させるということもできたはずなのですが・・・。



 4月になり、重機で土塁を崩し始めて、あっという間に土塁は跡形も無くなりました。



 土塁が削られたのは残念でしたが、2週間位は見晴らしが良くなり、日当たりも良くなって、悪いことばかりでもないかなと思ったりしていました。でも、すぐに鋼板の塀ができてしまいました。これから工事が終わるまで、おそらく2〜3年位このままなのではないかと思われます。塀の下のわずかな隙間から、工事の様子を伺ったりしています。



 覗いてみると、こんな感じです。県民会館があったことを早くも忘れてしまいそうな景色が広がっています。県民会館の解体工事に合わせて、昨年から埋蔵文化財の発掘調査も行われていますので、そのことについて、次回の投稿からいくつか記事を書いてみたいと思います。