2021/02/06

新屋ぶらぶら 祖父やら 河口やら(再投稿:2017年08月15日)

 

久しぶりに新屋に行ったので
ちょっとぶらぶらしてみました
記憶通りの場所もあれば
記憶とは変わっている場所もありました

新屋の日吉神社の入口付近に
こんな石碑(顕彰碑)があります
人の顔のブロンズが嵌めこまれていますが
これは 私の祖父です

辻永佐藤治(つじえ さとうじ)という名ですが
苗字を二つも重ねたような名ですね
3代目の佐藤治だったそうです



秋田市と合併する前に
新屋町の最後の町長を務めた人で
町に貢献したことが石碑に書かれています

この石碑は 昭和41年に建立されました
その時 祖父はまだ健在だったのですが
生きているうちに このような立派な物を
造っていただきました

除幕式には私も出ました
石碑の布を引く役目の一人でした
石碑の日付を見ると 2歳7ヶ月頃でしたが
非日常の場面だったからなのか
少しだけ記憶があります

当時の古い「あらや衆報」には
祖父を高く評価してくださる
厚い思いを感じる文を書いて下さった人もいて
ありがたいことだと思います

今回久しぶりに訪れてみたところ
新屋の祖父の家はすでに無くなっていました
祖父のことを 少しは私が書いておこうかなと
何となく そういう気持ちになりました



新屋の町を少しぶらぶらしたあとに
雄物川の河口に行ってみました
河口がずいぶん広くなっていました
大雨の影響でしょうか

親子連れが 釣りをしていました
私も 子供が小さい頃は
何度かこの場所に釣りに来ました 
比較的安全に 釣りが楽しめる場所です

ハゼ・キス・カレイ・ニゴイ・スズキの赤ちゃん
などが エサ釣りでは釣れました

大人は スズキ・ヒラメ・サクラマスなどを
狙う人が多い場所です

昔の雄物川は
今の大橋の辺りから土崎まで続いており
現在の秋田港が雄物川河口だった場所になります

蛇行した雄物川下流では洪水が頻繁に起こり
水害が秋田市の発展を妨げていたそうです

そのため 新たな川となる放水路を造る
大掛かりな工事が行われました
大正6年に始まり昭和13年に完成

その放水路が 現在の雄物川であり 河口です
そして 旧雄物川が
現在の秋田運河ということになります

雄物川放水路の工事と合わせて
茨島と新屋では埋め立て工事なども行われて
現在の街の姿の基礎となったようです

現在 雄物川の両岸に
新屋と付く住所がありますが
つながっていた土地が
放水路の工事で別れた結果だったのですね

それから 新屋と土崎は
互いに対抗心が強いと言われてきましたし
昔は 野球などで熱戦を繰り広げたそうです
応援もすごかったと 聞いたことがあります

雄物川放水路が完成する前は
新屋と土崎は川でつながっていたわけですし
どちらの町も水運と関連があり
秋田市と合併したのも同じ時期ですから
互いに意識してきたのでしょうね


雄物川放水路通水70周年のページ
(2008年)



河口の北側には
風車がたくさん立ち並んでいます
この日は 付近の風車は全て止まっていました

上の画像の左の地平辺りを
望遠で大きく撮影したのが 下の画像です



遠くにも 何機もの風車があります
秋田の沿岸は とにかく風車が多くなりました
そばで見ると 恐いくらいに 巨大です



やはり北側の風景です
遠くに見えるのが 男鹿半島です
浜辺では 子どもたちが釣りをしていました



こちらは 河口の南側
小さいけれど 漁港だと思います



これも南側ですが
雲の塊の向こうに 鳥海山があります
山裾だけ 雲の下側に見えています



河の上流方向を見ると

よく見ると 橋脚が3種類
3本の橋が写っています


***



浜辺の植物 黄色いもじゃもじゃ
ちょっと 海藻っぽい



猿の腰掛? 小さいけど
シーモンキーなら 1000匹は座れる!



仲良く咲いている 黄色い花
・・・スキ・キライ・スキ・キライ・・・
どっちも スキで終わると思う



鮮やかな赤系の花
虫がお食事中?

この花が 下の実になるらしい



あの花から この実 不思議
塩トマトみたいに
美味しかったら良いのに